林コラム

第1回 東京から帰ってきて。

先週一週間、関東方面へ遊びに行ってきました。

そのことを、関西に住んでいる友達に言うと、
「東京、どうやったん?おもろかった?」と
しきりに尋ねてくる。

そのたびに僕は、
「なんかさー、標準語をー、
 マスターしちゃったの。
 標準語っていうか、関東弁?
 けっこう自然にしゃべれるようになっちゃって。
 どう?上手くない?」
などと、東京で習得した関東弁を駆使し、
標準語のイントネーションで受け答えしている。

これが、けっこうウケるんですわ。
標準語を、公用語として話す人にしてみれば、
別段、面白くもなんとも無い話なんだろうけど、
関西人にとって、
この標準語的なイントネーションは、
かなり腹立たしいようで。

特に、僕みたいな、
関西の田舎で育った人間が、
堪能な標準語を、スラスラ話していると、
“都会かぶれ”的な印象を与えるらしく、
「あんた、えーかげんにしときや。
 ほんま、うっとしいねん。
 滋賀県民のくせに、だまっとれ。」
などと、
愛ある関西弁で、突っ込んでくれる。


関西で生まれ、関西で育った、
いわば、純血関西人(僕を含む)にしてみれば、
東京に憧れることがあっても、
標準語(関東弁)に憧れることは、ほとんど無い。
人によっては分からないけれど、
たぶんきっと、憧れよりも、嫌悪感の方が強いはずだ。

僕の場合にしても、
ネタとして、標準語をマスターし、
ネタとして、使っているけど、
未だに、標準語のイントネーションには、
嫌悪感を持ってしまう。


でもね、
こうやって書いてるテキストでは、
関西弁と関東弁に、大差が無いんですよね。

もちろん、
関西人は、文章を書くとき、
頭の中で、関西弁を話しながら書いている。
同様に、
東京の人は、頭の中で関東弁を話しながら
文章を書いている(らしい)。
でも、関西弁と関東弁の、最も大きな差というのは、
その発音・イントネーションにあるために、
文字になったときに、
そこには、あまり、差が無い。

文字として大差が無いもんだから、
関西人は、テキストを読むときに、関西弁で読む。
同じく、東京の人は、関東弁で、それを読む。

だから、テキスト中心のインターネットの世界では、
関東で作られた、
関東弁のイントネーションのモト作られた文化でも、
関西人は、
素直に受け入れることが出来る。
素直に、面白いと思って見ることが出来る。

インターネットの世界には、
関東と関西の垣根が小さい。
そういう意味でも、やはり、
インターネットは「フラット」なのだっ!!

みたいな。

そこいらで語られ尽くされている、
関西人にとっての標準語問題で、
宇宙の真理を解明したかのような気分になりながら、
第1回目の『林コラム』を終わります。

ちなみに、ゼロスタの記事は、
ほっとんど関西弁で書かれてまっさかい。
関西弁、ちゅーか、滋賀弁やねんけど。
関西弁のイントネーション使うて読まんと、
なんか変な感じしまっせ。
まぁ、ほうゆうことで、よろしゅうに。

 2003-08-20 Masataka Hayashi

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