ウマが私の生きる道

競馬をこよなく愛す、トゥザフネさん。
ギャンブルではなく、
文化として、競馬を見つめてくれてます。

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それがあなたの生きる道。

それでは、トゥザフネ、よろしくよ〜!

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第八回 復活のダービー

『タニノ』のイメージといえば?
という質問を競馬通の人間にしたら、
『スパルタ』と答える人は多いと思う。
実際にスパルタ教育で強くなったのは、2頭ほどしかいないのに、
その2頭があまりにも強烈なイメージを残してたんだと思います。

そのうちの1頭はタニノムーティエ。
この馬が走っていたのは昭和45年のクラシックだから、
今から30年ほど前の話です。

なぜスパルタかと言うと、この馬はダービーを取るまで14戦11勝という、
現在では考えられない戦績で挑んだのです。
当時はまだ、番組編成が整備されていませんでしたので、
今年のネオユニヴァースのように
6戦5勝などという馬は珍しかったと思いますが、
それでも当時は波紋を呼んだようです。

生産牧場のカントリー牧場も、ビシビシ鍛えて強くするのをモットーとしており、
それに答えたタニノムーティエは皐月賞・ダービーの2冠達成しました。

その当時のカントリー牧場の勢いは凄かったと聞きます。
タニノムーティエの2年前、
ダービーを人気薄で逃げ切ったのがタニノハローモア。

当時は『所詮は人気薄での逃げ切り』と批判されていたのですが、
オーナーの谷水信男氏はこの評価に不満を感じ、
それをバネにタニノムーティエを作り上げたと言われています。

そしてその2年歳したの弟、タニノチカラも天皇賞、有馬記念などを勝ち、
名実共にトップブリーダーの域に入っていました。

しかしその直後、事故で信男氏が死去してしまい、
後を継いだ息子の谷水雄三氏の時代に入ると、
長く低迷の時代が続いてしまい、
いつしか忘れ去られるようになりました。

ここ数年のうちに競馬を始めた僕にとって『タニノ』は、
『名馬列伝』などで目にするぐらいの過去のものでした。

しかし2003年のクラシック戦線に、
突如として圧倒的な強さを誇る『タニノ』が現れたのです。
それがタニノギムレットでした。

2歳時の札幌でデビュー後、一息入れて暮れの未勝利を勝利。
続けざまにシンザン記念を勝ち、アーリントンC、スプリングSを完勝し、
一躍、世代トップと注目されるようになりました。

未勝利戦を勝った直後からの重賞3連勝、、、
今、改めて思うとまさに『怪物』のような強さでした。

皐月賞では4コーナーで不利を受けて、負けて強しの3着。
普通ならばその後はダービーに直行すると思われましたが、
松田国英調教師は、間にNHKマイルCを挟むことを表明。
そこでも不利で3着に敗れてしまったせいで、
この異例のローテーションに賛否両論がでました。

実力はあるはずなのに結果が出ない馬、
30年近くのブランクを経て、
ダービー制覇まで後一歩まで迫ってきた名門牧場。

ここふたつの願いをかなえたのはやはり、
同年春に落馬によって骨折をしながら、
奇跡的な復活を遂げた武豊騎手でした。

その後、タニノギムレットは秋の神戸新聞杯を直前に、
不治の病と言われる屈腱炎を発症し、引退をよぎなくされました。

しかし、あの末脚は競馬が続いていく限り、
必ず語り継がれるでしょう。

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誠に勝手ながら、
今回を持ちまして『ウマが私の生きる道』は最終回とさせていただきます。
皆様のご愛読に感謝いたします。

2003年5月30日 トゥザフネ=ヴィクトリー=クロ

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2003-05-30


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