ウマが私の生きる道

第一回 トゥザヴィクトリーというウマ

競馬とは、ただ単に馬が走るだけのスポーツです。
でも、馬が走るには、
いろんな人たちが、いろんな事をして、いろんな思いを持って、
そして、いろんな馬が走るのです。
で、このコラムで、あくまで僕個人の主観でのどらまを、
伝えよっかなーと言う勝手な企画です。(笑)
一回目は私トゥザフネの語源にもなっている、
トゥザヴィクトリーという女の子の
お話をしてみようと思いました。

僕が、トゥザヴィクトリーを初めて見たのは、
1999年が明けて間もないころだったと思います。
『つばき賞』というレースで、圧倒的な強さを見せ付けた馬、
それが彼女でした。

本気で思いました、
「コレは強い!今年のダービーはこいつで決まりやな」、、、

そうです、あまりの強さに、
男馬だとばかり思っていたのです。
それくらいインパクトが強いレースでした。

一躍、
彼女は牝馬クラシックの有力馬と騒がれました。
4歳牝馬特別(現・フィリーズレビュー)から始動という
ローテーションが組まれましたが、
そのレースは熱発で回避し、
次週のアネモネSで賞金を加算し桜花賞へ、
というローテーションに変更となりました。

しかしこの熱発が、
彼女の馬生を大きく揺るがすのです。

圧倒的な1番人気に支持されたアネモネSで、
熱発での調整遅れが影響し、
まさかの3着。
これで桜花賞への出走が
微妙になってしまったのです。
主戦騎手だった武豊騎手は、
確実に出走できるフサイチエアデールを選び、
抽選で何とか出走できたトゥザヴィクトリーは、
若手の幸騎手を鞍上に迎えてのレースとなりました。

結果は、大健闘の3着。
これでオークスへの出走権を手にしたトゥザヴィクトリーは、
武豊騎手が手綱を取ることが決定しました。
ファンも1番人気の支持をし、
G1勝利は目前まで迫っていました。

オークス。
長い東京競馬場の直線を、ひとり先頭で行くトゥザヴィクトリー。
後続は迫ってこない、
残り100m、
大外を矢のように伸びる一つの陰、、、

逃げるトゥザヴィクトリーを、
ゴール寸前で捉えたウメノファイバー。
写真判定でしたが、結果は明らかでした。

おそらく、熱発の後遺症か、今まで無理をしてきたツケが、
ラスト100mで出たのだと思います。
ウイニングランをするウメノファイバーと蛯名騎手の陰で、
武豊騎手とトゥザヴィクトリーは、
静かに引き下がっていきました。

(つづく)

 

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