ウマが私の生きる道

第ニ回 トゥザヴィクトリーというウマA

トゥザヴィクトリーの父は、かの偉大なる大種牡馬、サンデーサイレンス。
さらに彼女自身も気性に難があったため、
『天才で、わがままなお嬢』
というイメージがあったと思います。
そんな彼女にもスランプが訪れます。

秋の大一番、秋華賞で一番人気に押されるも、暴走してしまい13着。
その後4歳になり重賞制覇を成し遂げましたが、
G1エリザベス女王杯ではファレノプシスに完敗。
もう一つ波に乗り切れないでいた彼女に、転機が訪れます。

それは『ダート路線に変更』ということでした。
初めて気楽な立場で挑めたフェブラリーSで3着と好走。
そして、後に『歴史的快挙』とたたえられるレースを迎えます。

世界最高峰のダート戦、ドバイワールドカップに選ばれたのです。
過去に日本馬は何度も挑戦しましたが、
そのたびに世界の厚い壁に跳ね返されていたレースです。
当然のように、国内外のメディアの有力馬の中に、
トゥザヴィクトリーの名前はありませんでした。

しかしいざレースが始まると、すんなりハナを切り、
あれよあれよの逃亡劇。
惜しくもアメリカのキャプテンスティーヴには交わされてしまいましたが、
前人未到の地で、見事に2着をもぎ取りました。

とは言うものの、未だにG1は未勝利。
真の名馬と呼ばれるには、どうしても『G1』という栄冠が必要でした。
目標にしていた帝王賞を捻挫で回避、
夏場は無理をせず、大目標エリザベス女王杯に備えることとなりました。

ドバイワールドカップからエリザベス女王杯までは8ヶ月間。
久々の実戦に加え、逃げ馬には不利なハイペースの予想から、
意外な低評価な4番人気。
とはいえ客観的に見ても、その年の牝馬クラシックを席巻した
テイエムオーシャン、ローズバド、レディパステルは
一枚上に見えました。

実際、レースはハイペースでしたが、
彼女と武豊騎手は、奇襲戦法ともいえる追い込み一気を見せました。
それでもラストは5頭が横一線に並ぶ大激戦でしたが、
アタマ一つ、ハナ一つ分だけトゥザヴィクトリーは前に出ていました。
こうして彼女は、遂にG1という大舞台を制することが出来たのです。
この後彼女は、有馬記念3着、フェブラリーS4着という成績を残しました。

彼女の競争人生の中で、一番大きかったことは、
オークスの2着だったと思います。
あそこで勝っていれば、早々に引退して、
ドバイワールドカップに出ることも無かったと思います。
そして今週の皐月賞に、彼女の弟のサイレントディールが出走します。
姉が果たせなかったクラシック制覇の夢を乗せて、、、
今日もウマは走ります。

 

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