ウマが私の生きる道

第三回 サンデーサイレンスというウマ@

この春猛威をふるってるもの。
SARS肺炎?イラク戦争?
いえいえ、その答えはサンデーサイレンス産駒です。 
何がスゴイって、今年行われたG1
(フェブラリーS・高松宮記念・桜花賞・皐月賞・中山GJは不出走)を
完全制覇してるのです。
今回は、このスーパーサイアーの物語。

サンデーサイレンスは元々アメリカのG1馬でした。
デビュー前は、たいして期待されてなかった馬で、
結局、一生治らなかった激しい気性のせいで、調教師を悩ませたとききます。

そんな彼もいざレースに行くと、その激しい気性が逆に『闘争心』となって現れ、
トントンと勝ち上がっていきました。
一躍、ケンタッキーダービーの有力馬に浮上した彼ですが、
人気ではもう一頭の有力馬のイージーゴアに譲っていました。
そして三冠ロードを迎えます。

アメリカ三冠第一戦にして最大の名誉、ケンタッキーダービー。
そこで彼は歴史に残る死闘を繰り広げます。
レースは、もはやサンデーサイレンスとイージーゴアの一騎打ち。
タッチの差でサンデーがイージーに競り勝った所がゴールでした。
これで波に乗ったサンデーは、二冠目のプリークスSでもイージーを完封し、
『三冠馬』の夢が膨らんできました。

重戦車の様な良血馬、イージーゴア。
漆黒の風の様なやんちゃ坊主、サンデーサイレンス。
二頭の対決はラスト一冠、ベルモンドSにもちこされました。

レースは予想通り一騎打ちとなりましたが、イージーゴアが本領を発揮。
サンデーサイレンスに圧勝しました。
ベルモンドSでは完敗を喫したサンデーサイレンスも、
次のトラヴァーズS、ブリーダーズCクラシックを快勝。
当然、アメリカの年度代表馬であるエクリプス賞を受賞しました。

そんな名馬がなぜ日本へ来たのか。
それは社台ファームの吉田勝己氏の影響があります。
実は吉田氏はサンデーサイレンスがケンタッキーダービーを勝ったときに、
種付け権を先物買いしていたのです。
この決断によって、日本競馬は大きく変わる事となるのです。

(つづく)

 

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